仁明天皇承和元年(834)元宮である岬の駒形神社より遷る。延喜式に載る白羽官牧の地と伝えられ、旧社地の駒形神社は、往古沖で遭難した九十頭の馬の内一頭が岸にたどりついた地とされる。残りの馬は沖の御前岩(駒形岩)と化したと云う。式内服織田(はとりだ)神社とも云われ、旧縣社として古くより信仰が厚い社である。
御前崎の岬の先端にある駒形神社は、今から1400年前に勧請された航海安全、大漁満足、漁業の守り神です。市文化財に指定されている。10月には祭典が行われ6台の御殿屋台が曳きまわされる。
寺の住職に助けられた子猫が十年後、住職を食い殺そうとした古鼠から、一命を捨てて救ったという猫の恩返しにちなんで、昭和7年12月に建立された。猫と言えば、猫騒動や怪談の化け猫で代表されるが、御前崎の猫は、恩義を忘れない忠義な猫の伝説。
地図はこちら ▶ねこ塚の物語に登場するネズミを祭る墓。悪いネズミが「心を入れ替える」と言った為、墓を作って祀った。昭和47年12月建立。寺の猫に殺された古ネズミは、村人達によって海の見える山端に捨てられたが、その夜「心を入れ替えるから、私の墓を作ってください。そうすれば、御前崎の漁業の守り神になりましょう。」と村人の夢枕に出たことが、後のねずみ塚になった。
下水神社は五穀豊穣の守り神。下水神社がある池新田(いけしんでん)地区はその名のとおり田園地帯であったが現在は御前崎市の中心部。下水神社の祭典は花屋台でこの辺りの山車に共通して言えるのは二輪一本柱万灯型で、江戸の三社囃子を遠州横須賀城主がこちらに伝えたのが始まりだとされている。夜間、4台の山車の「曳き別れ」は必見。
この賀茂神社の森は800年以上も自然のまま保護されたため、ここの環境条件に合った安定した森(極相林)となった珍しい存在として、県の天然記念物に指定されている。また、珍しい姫春蝉が棲む。限られた場所で集団発生するこの蝉はギャーオギャーオと森の奥で一匹が鳴き出すと、やがてザーワザーワとうねるように森全体で鳴きだす。平安時代の記録にも残る賀茂神社には昔ながらの古木がうっそうと生茂っている手付かずの植物、昆虫、野鳥、哺乳類が息づき、自然の畏怖と憧憬を感じさせる。鎮守の森である。
1300年の歴史を誇る、熊野三山の「新宮」に当たる遠州の神社。長い石段を上りきり、海を真正面に見る境内に立てば、水平線からの日の出、水平線への日の入を見ることができます。また、10月初旬の祭典では、五穀豊穣や家内安全、氏子の繁栄を神に奉納する相撲大会。地元小学生が100人あまり参加する子供相撲や、門屋、塩原、合戸、河東4地区の選抜力士による迫力ある「花相撲」が行われます。100年近い歴史があり、力強い本格的な取組は見ごたえがあります。
敏達天皇13年(584年)の創建とされるが、当時より桜ヶ池は神格化され、池そのものを拝んでいたものとされています。神殿の造営は、長保3年(1001年)佐倉氏の祖、源信栄の手によりなされ、その後栄枯盛衰激しく、江戸時代神官信盛が再興し現在に至っています。池宮神社は、古くから開運厄除、延命長寿、大漁満足、海上安全の神として信仰されてきました。また、水の神の信仰の系譜であり、信州諏訪大社との関連も深いそうです。本殿は、江戸初期風の意匠工法がみられ、小規模ではあるが注目すべき建物です。